幸福とは何か?~めぐらす思索~
幸福とは何だろうか? ●人は幸福を求める 生まれながらにして幸福を求めている。不幸になるために生きている人はいない。人間は皆、幸せになりたいと思って生きている。 しかし、考えたことはあるだろうか? はたして我々にとってどういう状態が「幸福」なのか、あるいは何があれば「幸福」だといえるのか…。 ●物があれば幸福なのか? 例えば、お金を持っていれば、本当に幸せなのか。大金持ちはみんな幸福なのか?好みの異性に囲まれていれば、それで幸せなのか?おいしいものを食べることができたら、それで幸せなのか? 逆に、物がなくても幸福な人もいる。それはなぜなのか。 突き詰めて考えてみよう。いくら物質的に豊かになり、願望がかなえられ、自分の思い通りになったとしても。幸福を感じるのは自分の心である。 心が充足しなければ、いくら物質的に満たされても何の満足も得られない。その逆に、たとえ物がなくても、心が満たされている人は幸福だといえるのではないか。そう、すべては心のありようではないのか? ●間違えた幸福 資本主義社会の中で、無条件にアメリカ的な価値観の影響を受けているかもしれない。お金を中心に回る社会の中で、いつしか財=幸福という定義が、当たり前のように心に根付いてきた。 大きな家に住んでいる人がうらやましい、大きなお金を稼ぐ芸能人がうらやましい…。誰しも、そんな風に思ったことがあるのではないか。 しかし、それは違う。 Happimess lies in contentment. 幸福とは、満足を知ること。 もし仮に、お金や家や恋愛でほんとうの幸福(=欲求の充足)を手に入れることができるのなら、小室哲也や押尾学が犯罪に手を染めることはなかったはず。彼らは、欲しいものを手に入れてなお、満たされていなかったのだと思う。 欲しいものが手に入れば、欲求は満たされると思う人がいるかもしれない。でも、それで終わりになりはしない。もっと欲しい。今度はあれが欲しい。 これが欲しい…。人の欲望は、際限なく大きくなる。欲望は、それが満たされるのよりもはるかに大きなオーダーで、拡大し続ける。だから、その状態を放置し、あるいは維持するままでは、我々は永久に ほんとうの幸福にはたどり着けない。 ●欲求が因 「欲求不満」という言葉のとおり、欲求があるから不満=ストレスは生まれる。欲しいけど手に入らない。やりたいけどできない…。すべての不満や不幸は、他人や外の世界に求めるところから始まっている。 欲求を満たすことによる幸福には、果たして限界がある。 すべては無常(=移り変わる)ゆえに、求めても手に入らない苦しみ、一度手に入れたものを失う苦しみ、理想的な状態が維持されない苦しみ…。 仏陀が説いた、「この世のすべては苦である」というのは真理である。
●ほんとうの幸福とは何か?
では、ほんとうの幸福とは何か? 一つには、欲求をコントロールできるようになることこそが、幸福であると言える。 ここでいう欲求とは、煩悩(=煩わしい悩み)と言っていい。 あれが欲しい、これが欲しい、あれでもない、これでもない…。 すべては苦しみでしかない。 我々は、ほんの一時的な、一過性の幸福のために、あらゆる煩悩にとらわれている。
あたかも、麻薬を欲する中毒患者に、麻薬を打ち続けているが如く。 (続く)